■松田医院沿革
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 松田歯科医院は昭和8年(1933年)に私の祖父である松田正忠が現在と同じ場所に開設しました。
昭和初期の古い郷土新聞「みくに新聞」の広告をみると当時の住所は、本渡町諏訪宮前通新道と呼ばれていたようです。祖父は九州歯科医学専門学校(現在の九州歯科大学)を卒業後、京都府立医専(現在の京都府立医大)で2年程副手をして帰郷、開業しています。その後大東亜戦争が始まったので、志願して従軍しました。その間10年ほど診療室を閉めていましたが、終戦後に再開しています。当時は生家があった佐伊津町にも小さな診療室を作り、夜間はそちらでも診療をしていたようです。
2代目の父へのバトンタッチで診療や経営の手が離れた祖父は歯科医師会にも積極的に取り組み、昭和48〜50年には熊本県歯科医師会会長も務めています。一方では学校歯科保険にも積極的にたずさわり、昭和48年には全国でも歯科保険に優秀な学校に贈られる「奥村賞」を校医を務めている佐伊津小学校が受賞しています。晩年は診療から手が離れ、書画を趣味としていましたが、平成2年に79歳で鬼籍に入りました。
      
初代院長 松田正忠初代院長 松田正忠
      
昭和初期の「みくに新聞」昭和 8年頃の松田歯科
      
奥村賞受賞記念碑初代院長 松田正忠

二代目の院長、松田愛人は昭和8年の生れで、やはり九州歯科大学を卒業し、東京大学口腔外科で研鑽の後、昭和36年に帰郷しています。帰郷後は学んできた口腔外科を活かし、最盛期は5床程度の入院設備を備えて外傷や良性腫瘍などの手術にも取り組んでいました。
平成元年の私の帰郷を機に、平成2年に佐伊津町に「さいつ松田歯科クリニック」を開設し、76歳になった平成22年3月まで診療をしていました。
      
二代目院長 松田愛人
さいつ松田歯科クリニック

昭和45年には祖父が開設した木造の診療室を解体し、鉄筋コンクリート4階建ての診療室に新築しました。請け負った建築会社が「天草で初めての鉄筋建築」と言っていたそうですから、当時としてはかなりモダンなビルだったのでしょう。
歯科医院が少なかった時代背景や高度成長の後押しもあり5台だった治療椅子は最盛期には12台となり、最高で一日300名の患者さんが来院したそうです。今は歯科大学の来院患者さんが一日その程度の大学も珍しくないので、当時としてはまさにフル稼働だったのでしょう。外観は随分と古びた建物になりましたが、すこしづつ改装を重ねながら現在に至っています。
      
さて、私は卒後5年目の平成元年に帰郷し、父と親子診療を始めました。当時は勤務医が在職していたので、歯科医師三人体制で一日100人ほどの患者さんを診ていました。そんな親子診療も約半年で破綻します。ご他聞にもれず周囲でも親子診療でうまく行っている診療室は少なく、とりわけどちらかの性格が強いとその傾向が強いのでしょう。二世代同居だったせいもあり、夕食時まで診療のことで言い争いになり、杯を投げ合うことも一度や二度ではなく、結局父は上記のクリニックを開設するに至りました。
少し話が脱線しましたが、私が引き継ぎすでに25年が経ちました。バトンタッチできる後継者はいませんが、平成26年に診療室の大改装をおこない、2階だった診療室を1階に移し、バリアフリーとしました。祖父が興した診療室が無事に100周年を迎えられるように患者さんと歩んで行けたらと思っています。